一週間

へのうし

2011年05月24日 23:20



会社でコーヒーを入れたらADあーやーが鼻をクンクンさせて「いいにおいですね」と言った。僕は太っ腹なので思う存分タダでコーヒーの香りをかがしてやった。
最近は、タンブラーなるオシャレな物にコーヒーを入れるものだから香りが周りに漂ってこない。
コーヒーの香りって幸せな気分になるのにね。
以前コーヒーを飲みすぎてオシッコからコーヒーの匂いがした。
見た目はビールなのに香りはコーヒーみたいな
飲んだらどっちの味になるんだろう?
両方好きな僕としては複雑な気持ちだった。もちろんオシッコの味なんだろうけど。
そういえば、昔話題になったオシッコを飲む健康法ってどうなったかな。


僕がブログを書いているパソコンの前に2枚の写真がある。
一枚は4,5才位の僕。男の子のくせに、なぜか花を持って緊張した顔をしながらポーズをとっている。
まるでカメラに魂をとられるんじゃないかのような古い写真。
もう一枚は今年ゴルフ場で撮られた写真。あるコンペに参加した時に撮られた。
主催者が気をきかせて撮ってくれたのかと思ったらゴルフ場と契約している写真屋さんで、プレイ後千円でどうですか?と言われた。
買わないと「この役立たず」なんて言われながら破棄されるだろうから、しょうがなく買った。
ゴルフが上手そうに映っているのも買った理由だけどね。

50代の僕と4,5才の僕。
なんやかんや、かんやなんやでこうも変わり果ててしまったのだろうか。
幸い50代の僕は帽子をかぶっているので、髪の毛があるのかないのかわからないため悲壮感は少し和らいでみえる。

そう、なんやかんやで50数年を生かされてきた。
ぎこちなく笑っている僕の写真は、どこかの写真屋さんで撮られている。
貧乏だった我が家でよくこんな写真を撮っていたものだ。
親の思いがこめられていたのだろう。

たぶん写真を撮った年頃だと思う、貧乏な母を困らせた古い記憶がある。
「菓子パンが食べたい」とダダをこねた。困惑した母の顔が幼心に焼き付いている。
母は、駆け落ち同然で父と島から出てきたときいた。
当時10代の母は、右も左もわからない見知らぬ土地で僕を産んだ。
学歴もなく、親の助けもなく、当時の社会保障制度の中で、どれほどの不安を抱えながら僕を産み育てていたのだろうか。
そんな母を僕は「パンが食べたい」とダダをこねて困らせた。
その日の夕方、母に呼ばれた。
母は、嬉しそうな顔で僕の目の前に拳を突き出した。
そしてその拳を開くと手のひらには数個の1セント玉があった。
数個とも錆びた1セント玉だった。
「ほら、パンを買ってきなさい」
僕の記憶はそこで切れている。
そのお金でパンを買ったかどうかわからない。
ただ錆びた1セント玉だけがどうしても頭から離れない。
母はあの1セント玉を半日かけてどのようにして工面したのだろうか?
その時にそう考えたかどうかわからないが、いつの頃からか僕はそんなことを考えるようになっていた。

母は、6人兄弟の長女として生まれ、家業を手伝うために高校にはいけなかった。
軌道にのった祖父の家業で、妹や弟は離島から大学へと進んだ。
くやしい思いがあったのか、漁師の息子の僕を大学まで進ませてくれた。
そんな母に対して僕はまだあの錆びた1セントの何分の一も母に返していない。
幸い、母は元気でいる。
でも年々確実に老いていく母をみると、いつまでも不肖の息子、そうあることで母が元気で長生きするものなのかな、と言い訳しながらまだまだ返さずにいようと思う。



意地の一週間が過ぎた。
一応これで有言実行できたかな。
美香も納得しただろう
やれやれだな。